総務辞典

著作権を考える前に ?法律と法と道徳

著作権の歴史

人は法律に従って生きるべきでしょうか。いや違います。われわれは自由な社会に住んでいて、何をするのも自由です。自由であるということは、法律の奴隷にはならず、私たちの固有の道徳や常識をもとに善悪を判断してよい、ということです。世の中には他人の迷惑や社会の幸福を考えない人間がいて、そういう人間に対しては権力による制裁が必要な場合がありますが、そういった制裁はほんの一握りのずるい人間に対してなされるべきことであって、著作権トラブルは「民×民」の問題として国家権力の介入なしに扱われるべきケースが殆どです。なぜなら著作権制度は道路交通法や建築基準法のように国民の生命や安全にかかわる問題でもなく、社会的制裁を加えることで目的が達成されるような分野でもないからです。著作権については、次の点を考慮に入れて考えをすすめていただければ幸いです。?法律を考える際に「人は自由である」という点から思考を始めるのが自由主義社会として当然です。 ?人の自由は公共の福祉のために必要最低限の範囲で、しかも合理的に妥当な方法でのみ制限できる、というのが現代日本社会における権力のあるべき姿です。 ?つまり権利というものは、「ある公共の目的」のために必要な範囲でのみ存在するものであって、その限度を過ぎれば「権利の濫用」として、その効力が認められません。この考えを推し進めれば、著作権という権利における「排他独占」というものは絶対的なものではなく、「文化の発展」という公共の福祉に結びつく場面においてのみ認められるということになります。?守るべきは道徳やマナーです。罰則でおどして著作権法を守らせるよりも、人間としてどのように生き、他人との利害関係についてどのように判断しその結果を受け入れるか、ということを考えることが重要です。

(1) 世界最古の壁画
南フランスや北イタリアでは、3万年以上も前の洞窟壁画が発見されています。オーストラリアのカカドゥ国立公園には、3万5000年以上も前と思われる壁画があるそうです。すぐれた芸術作品(著作物)は、人類の歴史とともに古くから作られていたのです。

(2) 伝達技術の変遷
作品を人に伝える方法は時代とともに変化してゆきました。著作権は伝達技術の発達と重要な関係があります。石、岩、洞窟→木片・粘土板→羊の革→写本→印刷(著作権の必要性が芽生える)→写真→映画→録音→放送→デジタル技術(インターネット)

(3) 著作権のはじまりは出版物の規制
すぐれた著作物は相当古い時代からたくさんありましたが、それを大量につくるとなると、とても難しい問題でした。大量生産の必要性は特に経典や聖書など宗教的な書物から始まったようです。法隆寺にある「百万塔陀羅尼経」は、現存する印刷物の中でも最古の部類に入ると言われています。活字印刷技術の歴史では、かつて東洋の方が一歩先んじていたようですが、15世紀にドイツのグーテンベルグが活版印刷機を発明したことにより、聖書がヨーロッパ社会に普及したことが、その後の歴史に与えた影響は大きいものでした。その後、大量印刷が可能になると、出版物の海賊版が出回るようになり、これを規制する試みが始まりました。イギリスではアン女王により1710年に版権保護の法律が定められ、その後、デンマーク、アメリカ、フランスなどでも出版に関する法律が制定されました。著作権に関する国際的な法整備が充分でなかった状況を改善するため、フランスの作家ビクトル・ユーゴー(作「レ・ミゼラブル」など)などが中心になって国際的な著作権保護の運動が活発となりました。そして、1886年スイスのベルンで各国の代表者が集まり、ヨーロッパ各国が参加する国際的な著作権保護条約が結ばれました。これをベルヌ条約といい、翌1887年に条約は発効しました。

(4) ベルヌ条約の原則
ベルヌ条約で重要なポイントは次の3つの原則です。
その1: 内国民待遇。つまり条約加盟国の著作物については自国の著作物と同様の保護を与えなければならないということ。
その2: 遡及効。条約加盟前に創作された著作物も条約加盟国間で保護するということ。
その3: 無方式主義。これは著作権が成立するのに特別な方式は不要であり、創作されると同時に著作権が成立するという原則です。その後、問題になったのは、アメリカ諸国が加盟しないことでした。アメリカは中南米諸国とパン・アメリカン条約を結んでいましたが、これらの国は方式主義を採用していたのです。つまり、これらの国では、著作権が保護されるには法律に定められた特定の手続が必要でした。方式主義と無方式主義というまったく異なる方式が存在していては、国際的な著作権の保護が円滑にすすみません。そこで、1952年、スイスのジュネーブで万国著作権条約が成立し、3つの重要な取り決めがなされました。

(5) 万国著作権条約の3つのとりきめ ?Cマークの始まり
?内国民待遇...これはベルヌ条約と同じです。
?不遡及効...万国著作権条約に加盟する前の著作物は同条約により保護する必要はないということ。
?Cマーク(the letter C enclosed within a circle)による著作権表示...これは、無方式主義を採用しているベルヌ条約加盟国の著作物であっても、Cマーク・著作者・発行年月日を適当な場所に表記することにより、方式主義の国において保護を受けられるという制度です。現在ではアメリカをはじめとするほとんどの方式主義の国が無方式主義へと変わってしまったので、Cマークを定めた万国著作権条約の意義は薄れてしまいました。しかし、Cマークは今では世界中で定着しており、著作権の存在を主張することに役立っています。Cマークの表記があれば、著作権を侵害した者が、著作権の存在を知らなかったなどと言い訳しにくいでしょう。

(6) 明治日本と著作権
日本はベルヌ条約に、早くも1899年に加盟しています。一日も早く欧米列強と肩を並べたかった日本は、ベルヌ条約加盟と引き換えに不平等条約の改正撤廃を実現したかったのです。国家的面子と著作権保護が引き換えとなりました。しかし、西洋文明を一方的に受け入れつつある当時の日本にとっては、外国著作物の保護は大きな難事でした。その後ヨーロッパ人が音楽著作権を主張してプラーゲ旋風が吹き荒れたとき、著作権意識が薄い日本人はとまどい混乱します。

(7) 権利の束は社会の進歩とともに
著作権はたくさんの権利の集まりであり、「権利の束」と言われます。どうしていくつもの権利が存在するのでしょうか?それは情報伝達技術の発達と関係があります。最初は、印刷機による複製(特に出版)という行為が作者の権利を侵害するとして問題となりました。ですから著作権は複製(COPY)を独占する権利(複製権)から始まったと言えます。その後、蓄音機により機械による複製や演奏が可能になると「演奏権」が必要になりますし、ラジオやテレビが発明されれば「放送権」が、「映写機」発明されれば上映権や頒布権、インターネットの普及により「公衆送信権」が必要になる、といったように、新技術の普及や社会の発展とともに利用の形態が増えたので、それにあわせて作者の権利は拡大されてゆきました。
(執筆:のぞみ合同事務所 行政書士日野孝次朗)

MENU