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人間、誰しもコミュニケーションスタイルに癖があるものだ。
たとえば、運動部に象徴されるような、上下社会にありがちなコミュニケーションスタイルが心地いい人もいる。先輩が後輩の名前を呼び捨てで呼ぶのは当たり前。先輩による多少の乱暴な言葉遣いも当然許され、後輩は少なくても表面上は絶対服従の姿勢を貫く。それが先輩の愛情と責任であり、後輩に対する人材育成でもあり、また全体の規律でもあるというわけだ。
当たり前のことだが、誰もがこのようなスタイルを心地いいと思うわけはない。
特に若い世代は、親からも怒られたこともないという人もいるわけで、親子は友達のようだと公言する人も少なくない。世代間ギャップもあるだろうし、男女間の感覚の違いもある。
では一般の企業社会ではどうだろうか。前述の運動部の例のように、上司が部下を呼び捨てにする会社は多い。上司が部下に対して、かなり乱暴な話し方をする会社もある。昔の世代からすれば、若者に対して厳しくするのは愛情の証であり年長者の義務だというところだろうか。
つまり、厳しくするのも人材育成のうちだというのだが、年長者から呼び捨てで呼ばれることを不快だと思っている若い世代は実は多い。まして上司から説教されるのはまっぴらだと思っている部下も増えている。
社会問題となっているパワハラやセクハラについても、表に出ればこそ一般的な社会通念のもとで糾弾される対象となるが、表に出なければそれもまたコミュニケーションの実態であり、社会の一部であるのだろう。
当事者が許容できれば問題とならず、許容できなければ問題視されるという、それが現実である。
たとえば相手が初対面の方であるのに、年が上だというだけで、相手から威圧的な話し方をされた経験のある人は多いことだろう。年配の方の中には、一定の割合でこのようなコミュニケーションをする癖を持っている人がいるが、注意が必要である。
今の時代の若者は、相手が年長者だというだけでは自動的に敬意を持ってくれることはなく、まして経験豊富であることを必ずしも評価していない。今はインターネットの時代であり、世の中の変化も早くさらに情報量も膨大である以上、目の前にいる生身の年長者の過去の経験など、「古くて遅い」というわけだ。
年長者にとってまさに受難の時代であり、こうした状況の中、世代や異性間でコミュニケーションをとっていかなければならない。
さて、職場のコミュニケーションの現場をもう少し注目してみよう。
役職で相手を呼ぶことを禁止する会社は多い。たとえば「○○部長」と呼ぶ代わりに「○○さん」と名前で呼ぶほうが、確かに立場の上下から来る威圧的なイメージは和らぐし、昨日まで「○○次長」と呼んでいた人を、辞令が出たからといって今日から「○○部長」と呼ぶのもなんだかいやらしい感じもする。(もし、「○○次長」が「○○課長」に降格したら、やはりこれも辞令が出た日を境に降格した新しい役職で相手を呼ぶべきなのだろうか。)
つまり、男女にかかわらずお互いに○○さんと呼び合うのは、より関係がフラットな感じに近づく感じがするので、多くの人がこれを採用しているのだろう。
ところでコミュニケーションとは、ただ言葉を発することやメールなどで文字を交わすだけのことではないのは明らかである。たとえば態度や行動でもコミュニケーションは行われている。実際は態度や行動が与えるインパクトは大きい。
たとえば相手を無視すること、もしくは意地悪い態度をとることだけでも、十分に一定のメッセージを相手に伝えることになる。言葉を交わしていないが、これもコミュニケーションである。
つまりこうしたことを総合的に考えると、コミュニケーションは複雑怪奇であり、その結果として人は常にコミュニケーションに悩まされることになるのだろう。誰しも人間関係の悩みを多少は抱えているものだが、誤解や行き違いというのもまさにコミュニケーションの失敗が原因である。
さて、コミュニケーションツールが発展し複雑化する現代において、なるべくフラットなコミュニケーションをとることはできないだろうか。
匿名でインターネット上に罵詈雑言を書き込こんで憂さ晴らしをしても意味がない。ペンネームでないと本音を語れないというのも悲しい。人間社会において、利害関係がなくなることはないのだから、このリアルな世界で、フラットにコミュニケーションをして、できるだけ本音ベースで人と人がつながる方法はないのだろうか。
比較的新しいコミュニケーションツールとして、ツィッターが爆発的に広がっているが、このツールには、そんなフラットなコミュニケーションを考えるためのヒントがあるかもしれない。
読者、つまり利害関係のある相手のことを極力感じないままに、自分の思いを短い言葉で発言していく。たまに自分の発言に興味がある人が注目してくれて、リツィート(引用してコメントを返すというイメージ)してくれる。
ツィッターを本格的に理解し活用するまでにはまだ先が長いが、最近なんとなく、このツールはフラットなコミュニケーションをするための良い練習になるのではないか、と思うようになってきた。
つまり気負ったコミュニケーションではなく、だからと言って無責任なわけでもなく、自分の本音を短い言葉に乗せて発信していくのだ。もちろん威圧的になるわけもないし、世代間ギャップや異性間の違いもあまり感じることはない。
自分がツィッターで発言した言葉には、その言葉を受け取りたい人、興味を持った人だけが返事をしてくれる。もちろん上下社会はここにはないし、自分の工夫次第では利害意識も極力払しょくできる(あまり特定読者を意識しすぎないこと。)。
ツィッターでフラットなコミュニケーションの取り方を練習すれば、実社会のコミュニケーション力が向上するような、そんな気すらしている。少なくても、言葉の発し方に関しては、訓練を積めばスキルアップできるのではないだろうか。
もし、コミュニケーションに悩んでいる方がいたら、1度、ツィッターを使って試してみることをお勧めしたい。
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