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BTM徒然草
第6話:日本企業の経済活動をビジネストラベルから類推する

2017年08月21日

■海外渡航環境の変遷

 今回は日本人海外渡航者数統計数字のうち類推したビジネス目的での渡航者数から、日本の経済活動について考えてみる。まずは海外渡航環境の変遷について触れておく。

 1964年(昭和39年)に海外渡航が自由化された。初年度の渡航者数は12万人強。1960年代から1970年の大阪万博までは、ビジネストラベラーの数がツアートラベラーの数を上回っていた時代と想定される。

 1970年代に入ると日本人の平均所得が上がり、さらに1970年に就航したボーイング747型機に象徴されるような航空機の大型化に伴い、航空運賃もレジャートラベル客を獲得するため団体運賃が登場した。旅行大手代理店、地方の電鉄・バス会社、デパート系の旅行会社が雨後のたけのこのように設立、どこも団体旅行、パッケージツアーを企画、販売するようになった。

 こうしたブームにより国内観光地への新婚旅行はグアム、ハワイ、香港など海外へと訪問先が様変わりした。2度のオイルショックで前年数割れすることもあったが、レジャーセクターの渡航者数は1970年初頭に100万人を超え、日米の貿易摩擦緩和の観点からも製品サービスの輸入、貿易外収支の赤字を増やす観点からも日本政府と当時の運輸省は"海外渡航者数10ミリオン計画"を立案。1980年代後半には予定を前倒してクリアしている。

 1985年のプラザ合意で日本企業はローカルコンテント法を回避するため現地生産にシフト。1980年代後半には、ビジネス目的の渡航者数、赴任者数を合わせて200万人の大台に達した。

■ビジネストラベルの取り扱い環境

 そうした海外渡航者数の拡大時期、特に1960年代後半、1970年代を通じて、ビジネストラベルの世界も拡大基調の前途洋々たる時代であった。大手企業は子会社グループの一角にインハウス・エージェンシーと呼ばれる自前の旅行会社を設立するのがブームとなった。このブームは1980年初頭まで続いた。2000年代後半からは後述の発券手数料、販売割戻金の減額がインハウス・エージェンシーの縮小、精算廃業につながった。

 私が今世紀初頭作成したインハウス・エージェンシーのリストは150社を超えた。それが現在は半数以下で旅行会社として存続するところ、子会社グループ再編成で旅行取り扱い部門として事業継続しているところ併せて半数であろう。その中身を見ると5年後も存続できるのは30社に満たないかもしれない。トラベル・プログラムを導入して、トラベル・マネジメントできる企業は限られるだろう。

 航空会社にとってはこのビジネストラベル市場が非常に大切な"売上""収益"を産むものであった。インハウス・エージェンシーも売上高は正規料金の発券高で発表され、航空会社からの販売割戻金がその収入源であった。結果、インハウスは"労働コストに見合った正当な取り扱い手数料"を交渉することもなく、発券手数料、販売割戻金という収入源が2009年3月末まで存在した。この"弊害"はインハウス・エージェンシーにとっては克服し、企業活力を取り戻すのに今もって苦労しているもようだ。

 ビジネストラベラーが変更自由度の高い正規航空運賃航空券から、制約で変更不可項目に満ちた"格安航空券"利用にシフトしたのは、1990年代前半、バブル化した日本経済がはじけた頃からだろうと記憶している。

 航空会社の国際団体組織IATAが航空大不況を経験し、戦後営々と蓄えた内部留保を全部吐き出した1990年代初頭、米国は軍事技術を民間に開放。その一端が高速通信回線網の充実化、インターネット技術、通信機能を持たせたWindows 95の登場、急速な実用化、普及であった。この時期IATAは特に国際航空券流通を見直し、旅行会社依存度を薄め、インターネット利用での自社Web販売、航空券のペーパーレス化(チケットレスと呼称)に突入していった。同時に流通経費削減観点から航空券発券手数料率を下げ、2009年3月日本地域での廃止をもって、航空会社と旅行会社の関係は完全に変わったと見なせるだろう。

森 栄蔵
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