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1990年代、バブルが崩壊して売り上げが一気に半減した株式会社大川印刷。そのいちばん苦しい時代に、同社は環境に配慮した経営へとかじを切った。脱炭素経営という言葉がもてはやされる今、パイオニア企業は何を思うのか。代表取締役社長の大川哲郎さんに、これまでの取り組みと課題を聞いた。
取材・文◎武田洋子
経営困難に直面し企業の存在意義に立ち返る
株式会社大川印刷は、1990年代後半から環境に配慮した経営に着手し、2004年には『本業を通じて社会的課題を解決できる会社を目指す』という意を込めた「ソーシャルプリンティングカンパニー®」を表明している。
1990年代後半の日本は、グローバルスタンダードという言葉が席巻していた。バブル経済の崩壊により日本的経営の非効率性が悪とされ、多くの企業がこれまでのように情やしがらみにとらわれず、1円でも安く仕入れ、1円でも高く売るビジネスへと転換していった時代だ。そうした風潮の中で、企業の社会的義務と責任を前面に打ち出した経営方針は、かなり先進的だった。
環境経営の先駆者ともいえる同社だが、代表取締役社長の大川哲郎さんは今でも、「目先の利益よりも持続可能な事業を選べたのは、経営的に余裕があったからでしょう」といわれるそうだ。しかし、実際は全く逆だった。
「バブル崩壊後、当社の売り上げは一気に半減し、このまま経営を続けることができるのか不安な状態に陥りました。経営のかじ取りについて余裕はなく、選択と集中を迫られる中で、私は自分が得意なこと、やりたいことを仕事に反映させようと思っただけなのです」
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