身近な著作権法:肖像権(パブリシティー権)

最終更新日:2010年03月05日

身近な著作権法:目次

インターネットで写真を利用する場合の被写体の権利は? 肖像権(しょうぞうけん)自分の顔がある日突然に雑誌やテレビなどで放送されたらどうでしょう。自分の「すがた・かたち」を勝手に世間に出されたり利用されたりするのは、許せないことですね。しかし、「許せない」と思う理由は、その人の立場や考え方によって、大雑把に2種類に分けることができます。

(1)プライバシーを守る意味での肖像権:プライバシーや名誉のために「許せない」

誰だって私生活の様子は見られたくないし、姿や名前が雑誌やテレビで世間に流れてしまうと、名誉が傷ついたり、恥ずかしい思いをしたり、知らない人にねらわれたりするかもしれません。ですから、あなたの姿やカタチ、住所氏名、私生活の様子などは、あなたからの許諾がなければテレビ局も出版社も原則として利用することはできないと考えるべきでしょう。

もし、インターネットで写真を掲載する際には、著作権者からだけでなく、その写真の被写体である人物からも、許諾を得る必要があります。しかし、被写体が風景の一部として溶け込んでいたり、画像がボケていて誰なのかがはっきりわからない場合には肖像権の問題にならないでしょう。肖像権はプライバシー(個人の秘密)や名誉など、人間の人格を保護する権利であると言われていますが、特に法律の条文に肖像権という規定があるわけではありません。人間が当然にもっている権利だと考えられます。他人の私生活の話や似顔絵なども、利用の際には注意を要します。

(2)パブリシティー権:経済的利益を考えて、「許せない」

肖像権は人格を保護すると言いましたが、肖像権を保護する理由としてプライバシーや人格の保護では納得できない場合がありえます。

たとえば芸能人のコンサートでの写真を無許諾で販売する場合には、プライバシーは侵害されていないと言えます。コンサートではすでに肖像が公衆に公開されていますから、プライバシーの問題としては考えにくいのです。また芸能人の名誉や人格が傷つくというのも変な気がします。しかし芸能人はその「すがた・かたち」を利用することで収入を得ています。芸能人は一生懸命努力し人気を得て、その「すがた・かたち」や「名声」の価値を高めようとしており、彼らにしてみれば、誰かが勝手に芸能人の「すがた・かたち」を利用してお金もうけをするのは、とてもずるい行為だと感じるでしょう。また、売り物である自分の「すがた・かたち」を不当に利用されてしまうと商売になりません。

そこで、パブリシティー権という概念で保護する考え方が生れました。広告宣伝に非常な効果(顧客吸引力)がある肖像や名前には経済的な価値があると考えられますから、パブリシティー権の侵害は多大な経済的損害を発生させることになりかねません。

最近は、有名人の「すがた・かたち」だけでなく、プロ野球選手やJリーグ選手の名前(競走馬の名前まで?)なども対象になると考えられるようになってきました。例えば野球のテレビゲームの中で実在の選手名や球団名を使用する際には、あらかじめ選手達から許諾を得ておく必要があります。

(3)パブリシティー権についての個人的見解

パブリシティー権という権利は法律で定められたものではありません。しかし「自由で公正な社会」という現代社会の原理を貫き、「大衆の注目を集める、すがた、顔、名前などが勝手に利用されるのはおかしい」という発想をもとに、判例の中で認められてきた権利です。

そもそも「パブリシティー」という言葉にどのような意味があるのでしょうか。辞書を引いていると、「公衆に見せる、知らせる」「宣伝広告」といった意味があるようです。どうやら、パブリシティー権は、テレビコマーシャル等の発達と密接な関係があるように思います。現代では、ある商品が売れるためには、TVタレントの存在が重要になっていて、そのタレントの人気を利用して、宣伝効果を高めようという動きが顕著になりました。当然ながら、利用された方は面白くありませんから、何か理屈を作ってお金を請求したくなります。

「他人のモノを勝手に利用して儲ける」のはおかしい、という発想ですから、保護されるのはタレントだけでなく、スポーツ選手や競走馬の名前、アニメキャラクターや映画の名称などにまで範囲を広げようという動きにつながって行く傾向があります。そもそも「売上に貢献するものには相当な見返りを与える」というのが、無体財産制度の根幹にある思想です。保護の対象が「経済的価値」ということですから、誰かが勇気をもって歯止めをかけないと、とめどもなく解釈が拡張されて、一般市民の権利を不当に害する結果にもなりかねません。すべての知的財産権は、社会全般の福祉のために、利用される側も、する側も、互いに権利を制限しあい、譲歩しあっているわけですが、パブリシティー権の場合は、はっきりとした法規定がないので、訴訟を恐れない大企業の都合ばかりが優先されやすいところが危険です。

競走馬の名前を保護すべきかどうかという論争がありましたが、パブリシティー権も人格権の保護を核心とするという判断は合理的だと思います。有名人はプライバシーや人格をある程度犠牲にして、それをもって生活の糧にしているわけですから、彼等のパブリシティーの保護は、最終的にプライバシーを保護する結果にもつながります。また、このような歯止めをかけなければ、なんでもかんでもパブリシティー権で保護できることになり、制度の矛盾が生じてしまいます。

人格に関係の無いパブリシティー(競走馬の名前など)は不正競争防止法などの適用で保護する方法もあります。外来語を安易に使用することが、この権利の存在を余計にあいまいで不気味なものにしているとも感じます。もっと市民から理解されやすい、納得のゆく説明が正々堂々とされるようでなければいけません。パブリシティー権を日本語で何と呼べばよいのでしょうか。「経済的肖像権」とでもいいましょうか。もしそうであるなら、ファンが撮影したタレントの写真を個人的に複製するのはOKだと言えないでしょうか。

※余談: 有名人のマスコット人形や有名人を元にしたキャラクターを作り上げたとしましょう。その人形やキャラクターの権利を著作権ではなくパブリシティー権で保護できますね。著作権には保護期間がありますが、肖像権の時間的制限は不明です。一般のアニメやキャラクターは保護期間があるのに、有名人を元にしたキャラクターは永遠に保護されるというのはおかしいことです。もし100年後に、美空ひばりさんを元にしたキャラクター人形を作って売るとしたら許諾を得なければなりませんが、鉄腕アトムの人形を作って売ったとしても、保護期間は終了しているので許諾は不要なのです。だとすると著作権法に何の意味が残るでしょう。

(4)法律を制定して対処すべきでは?

私は、パブリシティー権の保護の対象を特定の分野に絞るべきと考えています。なぜなら、経済的利益が侵害されるおそれのある全てのものを保護するとなると、知的財産権など既存の権利のあり方に影響を与えてしまうからです。

そして、肖像に関する権利は、きちんと法文で規定すべきであると思いますが、政府はあまり関心がないようです。法律ではっきりした規定がないので、肖像権が侵害されても刑事責任を問いにくく、民事的な解決しかできません。支払能力の低い相手によるプライバシー侵害に対しては、現実的で有効な解決ができません。

また、どうも最近は、企業利益の都合ばかりが優先して、個人の権利保護がないがしろにされているだけでなく、市民の日常的な暮らしに対する制限が徐々に増えているように思います。インターネットの分野ではそれが顕著です。インターネットとか、ITとか、企業や行政は何かしらそれによって「トク」をするので、大々的にやりたくて仕方がないわけですが、一般市民がインターネットによってどれほど幸福になったでしょうか。そして、市民の権利がこの分野で積極的に認められたことがあったでしょうか。むしろ権利が制限されたり、侵害されたり、個人情報が流れたり、というマイナス面が大きいのではないかと感じます。私たちは、もう少し自分達の権利の行く末について考えるべきだと思います。

(執筆:のぞみ合同事務所 行政書士日野孝次朗)

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