「背中を見て学べ」はもう古い、重要なのは「タイパ」と「じっくり」のバランス 今どきの若手の育て方

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「いったことしかやらない」「こと細かく説明しないと理解できない」「自分で考えない」……。企業で人事に携わる方々のお話をうかがうと、若手人材の育成に頭を悩ませているのがわかります。筆者も大学で教えていると、「ここまで指示しないとわからないか?」といった場面に遭遇するので、企業人事の方の声も理解できます。では、彼・彼女たちの育成にはどのような姿勢で臨めばよいのでしょうか。今回は、若い世代の特質を考察した上で、対応方法を検討したいと思います。
「背中を見て学ぶ」時代の終わり
今の中高年世代が育った昭和から平成にかけての時代においては、「自分で考えろ!」が企業での人材育成方法の主流だったのではないでしょうか。その世代の方が、自らの過去を令和の時代と比較して振り返り、述懐をされる場面にも多々遭遇します。「自分たちの若い頃は何も教えてもらえなくて、全部自分で考えたものだ。そして、考えて作成した書類を持っていってもダメ出しだけされて、どこが悪いかも教えてくれなかった。何度も作り直してやっとOKをもらったときはうれしかった……」。現代なら「パワハラ」と取られかねない指導方法ですが、この20~30年で何が大きく変わったのでしょうか。
この「自分で考えろ!」という育成方法の特徴は、上司の望む正しい書類を作成するために必要となる「最低限の情報」とは「関係のない」雑多な情報や知識を遂行プロセスで活用せざるを得ないことです。もし上司が部下の作った書類の拙い箇所を直接指摘し、望ましいものに変えるために必要な情報のみを与えた場合は、部下は最低限の労力と時間で正解にたどり着くことができるでしょう。
一方、上司が、拙い箇所の指摘を行わず修正方針も示さなければ、部下は「どこが良くないのか」と、さまざまな仮説を立てて、試してみることになります。そこでは、正解へ至る最短の道筋とは異なる情報や知識を動員することになるでしょう。その中で最も有力なものは、過去の事例や先達が行ってきたことであり、必然「背中を見て学ぶ」ことを余儀なくされます。この育成方法の利点は、正解にたどり着くために「仮説立案と検証」という作業を幅広く行わざるを得ないことです。本人の思考能力を高めますし、そこで考えた仮説は別の場面で応用可能となり、結果として本人の業務遂行能力を高めることにつながります。
反対に、その欠点は効率の悪さです。本人の仮説検証プロセスは長い時間を必要としますし、一見結果につながらない作業に手を煩わされます。この紆余曲折のプロセスが、「コスパ」「タイパ」を重視する現代の若い世代にとっては耐えられないのではないでしょうか。小さな頃からスマホやネットを駆使して、簡単に「正解」にたどり着けたような気になっていた世代には、時間や労力の無駄にしか思えないのかもしれません。たとえ若者がその重要性を理解して、紆余曲折のプロセスに取り組んだとしても、残業していれば「早く帰れ」と諭される「働き方改革」の時代です。若い世代にとっては「では、どうしろと?」といいたくなるのが現状でしょう。
知りたい情報だけを知りたい若者たち
この若者の気質や事情を構造的に解説してくれているのが、三宅香帆氏の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社,2024)という著作です。同著は明治時代以降の日本人の読書習慣と日本企業における労働慣行を照らし合わせて分析していますが、「最近の若者はなぜ本が読めなくても、インターネットはできるのか?」という問いに対しておもしろい分析を行っています。インターネットを通じて得られる「情報」は自分の「知りたいこと」に絞られたものであり、読書などを通じて得られる「知識」は自分の「知りたいこと」だけでなく、それ以外の雑多な「ノイズ」を含んでいるというのです。
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